26.「屋久杉土埋木」と「縄文杉」の話

土中に埋もれて何年もたった木を土埋木、木が倒れたり切り倒され、地表で腐らずに何年もあるものを倒木と言いますが、屋久杉の場合は倒木も含めて土埋木と呼んでいるようです。
余談ですが、東南アジアでは川底に沈んだ木、及び川底の土中に何年も埋もれている木を沈木と呼んでいるようで、水の作用によるためか、土埋木とは形状や質感が異なります。

私は離島が好きで、過去にいろんな離島を訪れたのですが、残念ながら屋久島はその横をちょっと通り過ぎたことが一回あるだけです。「通り過ぎた?」 実は、10数年前、西表島に行くのに沖縄まで船で行ったことがあるのです。朝方、甲板から見える屋久島はその山頂が雨雲に覆われ見えなかったことを覚えています。

さて、本題です。
鹿児島県に属する屋久島は周囲わずか100kmほどですが、その最高峰である「宮之浦岳」は海抜は1.935mもあり、九州で一番高い山です。海抜100mごとに気温が0.6度下がるこの地形の影響で屋久島は亜熱帯から亜寒帯までの気候を有し、植物の垂直分布をみることができる珍しい島になっています。つまり、直径30km程の島で沖縄から北海道までの日本全土の気候が体験できるわけです。

このような自然環境に加えて、新鮮な水に恵まれながらも、栄養分の乏しい花崗岩の地質の下で、屋久杉はゆっくり育ちます。この地質が樹齢数千年の「屋久杉」を生む要因の第一なのです。材質は緻密で樹脂分を多く含むために腐りにくく、「屋久杉」の伐採が禁止されている現在では土埋木(倒木)が利用されています。

【屋久杉土埋木(倒木)】「屋久島 – 日本の世界遺産」より転載
https://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/yakushima/

屋久島では自生する樹齢千年以上の杉を特に「屋久杉」と称し、千年未満の杉を「小杉」と呼んでいます。「屋久杉」の中で特に樹齢が長いものには固有名詞が付けられています。「大王杉」「紀元杉」「弥生杉」などがありますが、特に有名なのが「縄文杉」です。

ただ、この「縄文杉」が発見されたのはそれほど古い話ではなく、昭和41年に町役場の人が発見し、瘤だらけの岩のような形状から当初「大岩杉」と名付けられたのですが、樹齢からマスコミ報道で「縄文杉」と呼ばれ、その名前が定着したそうです。

この縄文杉の推定樹齢については、古いものでは7200年、新しいもので2170年などの諸説がありますが、3000年前後というのが一番多いようです。普通、杉の寿命は500年ほどですが、この「縄文杉」などが2千年から3千年も生き延びることができたのは、屋久杉の特殊な自然環境の他に、もう一つ原因があるのです。

屋久杉は、江戸時代以前は「御神木」として伐採されることはなかったのですが、江戸時代と昭和30~40年代の高度経済成長時代に大量伐採された歴史を持っています。「縄文杉」などの「屋久杉」がその伐採の危機を免れたのは、瘤などが多く材木としての価値がなかったこと、それに険しい山奥からの搬出が困難だったことによるものなのです。決して現代のように自然保護の思想があったからだというわけでないのです。

時代の風潮のよって、延々と続いていた自然の循環が断ち切られるのは残念なことです。

江戸時代、屋久島の儒学者・泊如竹(とまりじょちく)が屋久杉利用を薩摩藩主島津久光に献案し、伐採が始まりました。緻密で耐久性があり加工しやすい屋久杉は屋根瓦の代わりとして、長さ50cm幅10cm厚さ7mmほどの平木に加工され、年貢として薩摩藩に納められたそうです。

高度経済成長時代の原生林を含めた屋久杉の大量伐採を経て、現在では「屋久杉」の伐採は禁止されています。ただ、この2度の森林伐採の時の切り株や倒木が「土埋木」と称して利用されていますが、その取扱量は最近では少なくなっているようです。